小学生の頃は足が速いとか面白い=モテる。 という価値観から
中高生になると、勉強ができる=モテるという価値観が段々と比重が増えていく気がしている。最近ではキレイという価値観の方が上位に来ている気がするが、今回はその話はおいておこう。
勉強ができることがモテるファクターであることが内心理解されるようになると、人は自ずと勉強ができないことへの嫌悪も持つようになる。
勉強ができないことがいじめの原因もしくはキッカケにもなる理由だ。
中学校という「場」ではなによりも勉強ができるという価値観が一番評価される。
我々大人は勉強ができる以外にも、世界あるいは社会は多様に富んでおり自分を活かせる「場」というのは無限にあることを知っているのに。そのことは多感な中学生に届いていない。
その結果、自分が少しでも輝ける「場」として
ゲームの世界のコミュニティで生きている。そんな中学生をみることが増えたと感じている。
人は輝ける場所に居たいと願うのは当然のことだ。ただ、僕が危惧するのはそれでも現実の社会で生きていかないとならない。てことなのだ。ゲームの世界と現実の社会での立場や評価が乖離すればするほど輝ける場所への依存度は増していく。
受験生なんだからゲームを辞めなさい。そう、親は言うだろうが彼らにとってゲームは単なるゲームではもはやないのだと思う。自分らしく生きている「場」なのだ。
冒頭に僕は自分を活かせる「場」は現実の世界や社会には無限にあると言った。だが、いま現に輝ける場所を手に入れた人間がそれを打ち捨てて現実の世界と社会で探そうとするだろうか?
